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ばかばかしいと言われても -TDT200への挑戦 1ー

ことの発端は、遡ること8週間前。
2022年4月1日、ポンっという音と共にデスクトップに通知されたFacebookのお知らせだった。

今日はエイプリルフールズですが、TDT200 IS NO JOKE!

今回は初の試みなので先着5名のプレイベントとして行いたいと思っています。

TDT200説明書をよくお読みの上、ご興味がある方はRDまでメッセージください。

挑戦するもしないも全て自業自得です。アーメン。RD


そもそも、この報せからさらに2週間ほど前に山梨は甲府のトレイルランニングショップ道がまっすぐの小山田さん(RYU-Gさん)がT.D.Tダブルに挑戦したことに始まったのだと思う。RYU-Gさんの挑戦には衝撃が走った。トモさん同様、定期的に100マイルに挑戦している彼だけど、いきなり200マイル!しかも80%以上ロードのコースを2周。我ら山の民であってロードの負荷は計り知れない。

「いや〜、すごいことするよなぁ」

と、驚き尊敬しつつもあくまで他人事だった。私の2022年上旬はどうだったかというと、またまたハーフやフルが立て続けに中止となり、唯一3月開催の球磨川リバイバルトレイルには参加できた。12月を今シーズンとするならば、シーズン2回目の100マイルをそこそこのタイムで完走した。その後は、THAILAND BY UTMBに続き、二つ目のUTMBシリーズとなるレースのプレ大会にメディア招待されていた。こちらは5月開催の100km。しかし、開催エリアが治安の問題で渡航禁止地域になっていると直前で判明して、楽しみにしていたイベントが直前で中止になってしまった。TUTMBで仲良くなった友達との再会もできなくなりこれにはしばらく気が落ちるほど相当に凹んだ。

RDからのお告げは突然に

そんな時に飛び込んできたのが、エイプリルフールのウソかホントがわかりにくいRDからのお告げ。おもわず「興味あります!」と勢いで連絡した。本番までたった8週間だった。言い訳なんて格好わるいし、“できなかった理由を探すより前に進む方法を考えるべき”と思っているほうなのであんまり言いたくはないものの、この時点ではレースまでの2ヶ月間は、仕事が楽ではないものの練習の時間も山に行く時間も取れると思っていた。

フタを開けてみれば、何がそんなに忙しかったのか思い出せないくらい慌ただしく過ぎて、4月末はUTMFの密着で駆け回った(と、言っても走ったわけではない)。5月はタイ渡航が無くなった後に大阪〜九州のフェリーを予約していて、仕事兼ねて10日間ほど九州に滞在していた。九州ではほぼ毎日山で、いつもならゆっくり歩きだけどTDTのことも考えて心拍を上げて登り、1日に2座登頂したりもした。桜島では島の周回コース(大回り)37kmを2周した。

 

 

桜島ではそこそこ手応えがあり、ペースが上がってしまって疲労したものの1周目と2周目のペースをほぼ変えずに走れていた。一旦脚が止まりそうになってからの盛り返しの感覚も思い出し、山ばかりのなかで長距離ロードの感覚は思い出した気がしていた。その時の距離は75kmで、この4.5倍か...と苦笑い。この半年で160km以上を2回、仕事でもプライベートでも山で1日10時間を超える行動はしているものの、それでも「イメージがつかない」。300kmなんて走ったことがないもの。

 

 

トレイルランニングレースでの経験は最長330km、7日間。林道やダート多めのトレイルランニングレースなら、おんたけは出たことがないので今年の球磨川か。ロードのみでいうとウルトラ(100km)に1度だけ。TDTは実質147kmくらいでトレイルは24kmなので、ロードが124km。つまり、わたしはロードを120kmくらいしか走った経験がなかった。

300kmって一体なんなんだ

この世の中、というかこの日本には“超ウルトラ”と呼ばれるトレイルランニングのロングでもロードのウルトラでもないカテゴリがある。

小江戸大江戸230kmの部
さくら道ネイチャーラン250km
関西夢街道グレートラン320km
沖縄本島サバイバルラン400km
川の道フットレース 520km?
本州縦断 青森〜下関フットレース1550km・・・

わたしは、この類のレースに出たことがない。ロードを124km×2=248kmを落ち着いた休憩なくそこそこで走り続ける意味をわかっていなかった。桜島で75km走ったのを最後に、そのあと東京に戻ってからは仕事がかなり忙しくなり徹夜する日もあった。雑誌の仕事に徹夜はツキモノ?なところがあり、自分でスケジュールをコントロールしにくい。いくら事前に予定を押さえていてもその通りにいかないのは仕方ない。日中は外で打ち合わせをしたり受託先に行くこともあるので、夕方までは外で仕事をしてから家に戻って夜〜朝方まで原稿を書くこともめずらしくない。2週間でできたことは、“徹夜練”くらいである。

ホルモンバランスが崩れ、不眠も影響して毎日偏頭痛に悩まされながらギリギリまでこんな状況で走れるのかと悩み、不安で押しつぶされそうだった。でもそれもまた失敗のひとつの要因かもしれない。第一は練習不足や体調管理不足だけれど、成功のイメージを持たなければ良い結果を自分で引き寄せられないと偉人達も言っているじゃないか。T.D.Tがネガティヴワード禁止なのはそういう意味もあるかもしれない。

人に頼るというほとんど初めての試み

走れるか走れないかの瀬戸際で悩み、1週間ほど前になってペーサーやサポートを探しているとSNSに投稿すると、すぐに友達数人がメッセージをくれた。力になれることがあれば、と言ってくれている。これまでレースでペーサーをお願いしたことがあるのはわずか3回。海外レースなんかは1人で行くので、サポートもペーサーも知り合いもいないことだってあり、だいたいのことは自分でやってきた。ペーサーされ慣れていない。サポートにもうまく頼めない。わたし自身がうまくできるかわからないけど、今回ばかりは全力で人に頼ってみることにした。

T.D.T200プレ大会のルールでは、1周目は全区間ペーサーOK(常時1人なら交代可)、2周目はT.D.T100のルールに則って約63km地点以降がペーサーOK(交代不可)となっていた。過去に2度TDTを完走していて、しかも6年も前のことだ。その後3回ペーサーをしているし、普段の練習で多摩リバーを通して走ったり青梅高水のトレイルにも行く。1周は確実に走れる自信はある(当たり前だけど)。ならば1周目をいかに気楽に、いかにリラックスして、いかに疲労なく終えるかが肝なんじゃないか。楽しくおしゃべりしてくれそうな知人にお願いして、贅沢にも1周目の全区間に交代制でペーサーについてもらうことにした。

4人がペーサーを引き受けてくれて、さらに直前でもう1人サポートするよと連絡をくれた。もう、やるしかない、言い訳なんてしてられない。やってみなけりゃわからない。自信のないわたしにトモさんがエマちゃんは本番に強から、と言ってくれた。

『骨が折れない限り、走り続けますから!』

それがわたしの今回の合言葉だった。

 

 

トモさんが主催するグループランイベント、T.D.T(ツール・ド・トモ)。100マイルレースを完走するための練習としてトモさんとその挑戦を支えようと集まった仲間で始めたもので、みんなで助け合いながら完走を目指す。

T.D.T100
T.D.T100は羽田空港近くの天空橋をスタートし、東京と神奈川の県境を流れる多摩川の河川敷を上流に向けてひた走る。約55kmで河川敷を終え、その先市街地を7~8km、そこからトレイルを片道約12km。折り返して総距離約147kmを23~24時間で走る。人が増えてきたことにより、ドロップバッグやエイド、時間制限(突っ走る人の足止め含む)、スイーパー的な役割も生まれた。でも、あくまでレースではない。

T.D.T200(ダブル)
4月1日エイプリルフールのRDのお告げで知ったT.D.T特別編。T.D.T100のコースを2往復する。T.D.T100の24時間前にスタートし、1往復目を24時間以内、2往復目はT.D.T100参加者と共にスタートを切って24時間以内に完走を目指す。