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ばかばかしいと言われても-TDT200への挑戦 3ー

「うまくいかないのがウルトラだよ」

トラブルが続き、焦るわたしにトモさんがいう。初日から謎の膝痛、熱中症、時間の計算ミスが続き、自分で設定した予定よりも遅れてはいたがT.D.T100に置き換えてみれば十分余裕があるタイム、23時間25分(10:25)に1往復を終えた。

 30分じゃ間に合わない!再スタートまでのパニック

サロ門にはT.D.T100の人たちと応援の人であふれていたが、それどころじゃない。色んな人が話しかけてくれるがわたしにはそこまでの余裕がない。やらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことが今この瞬間にやまほどある。30分で全部を済ませてスタートしなきゃならない。


急いで荷物を開き、準備をする。あしラボの小野寺先生が来ていて、マッサージをしてくれるというが、まだ他の人の施術中。その間で荷物を整理するけど全く頭が回らない。サポートにどういうパッキングをするか説明していなかった故に、みんなが困ってわたしを囲んでくれているが、サポートされ慣れていないわたしはお願いすることもできない。

 

 準備が中途半端なままに、施術待ちをしながらとりあえずうどんをかっこんだ。マッサージの順番が回ってきたのが15分前。ギリギリまで復活のために手を尽くしていただいて、スタート3分前。急いで荷物を抱えるが、ボトルが入っていない。補給も中途半端に転がっていて、ドロップバッグも閉まっていない。

 「3.2.1・・・いってらっしゃ〜い!」


 キラキラしたみんながワイワイとスタートしていく。花道から外れた場所にいたわたしは、「スイマセン、スイマセン通してもらっていいですか」とペコペコ頭を下げながら人垣の間を潜って、荷物とボトル2つを胸に抱えて最後尾からとりあえずスタートした。100mほど行った場所でパッキングを直し、ザックを背負ってボトルを胸のポケットに刺す。いきなりハイペース駆け抜けていったみんなを急いで追いかけたが、50mほど先の角を曲がった見晴らしのいい直線道路ですでに誰ひとりの背中も見えなかった。その間たった2分程度だったと思うけど、誰ひとりいなかった。

走りたいのに走れない、ひとり泣きながら歩く河川敷

T.D.T200の最重要ポイントは2周目のサロ門〜鉄道公園のロード区間63kmにあると思う。すでに1周目復路で63km走っているのでつまりロード126kmを連続して走る。トレイルに入ればまた使う筋肉が違うから、何とかしてここを乗り切れるかどうか。T.D.T100の超フレッシュで超ハイテンションな30人くらいが一気にスタートするから、気分も変わるし休憩時間を削ってなんとかついていけば最後尾あたりをキャッチして走れるかもしれない。なにせみんなに会って一緒に走ることを心底楽しみにここまで頑張ってきた。

 

でも、スタートからたった300mくらいのところですでにわたしだけひとりぼっちだった。これには、わたしの轍の心がポッキリ音を立てて折れるのがわかった。その瞬間にぶわっと涙があふれた。泣きたくなんてなかったし自分の意思に関係なく、勝手に涙があふれた。こすってもこすっても止まらなくて、泣いてる自分にも悔しくて余計に泣けた。ネガティブな思考の波に溺れ、ジタバタするも息ができずどんどん沈んでいく。身体から力が奪われていき、脚がついているか疑わしいくらいに言うことを聞かない。故障しているわけじゃなさそうなのに、前に進まない。

走り出してみても、時計を見るとキロ11分。ウソでしょ・・・キロ7分半で走らなきゃならないのに・・・。速歩きするとキロ8分〜9分は出る。ならばととりあえずパワーウォークをする。T.D.Tで最初から歩いてるヤツなんていない。やっぱ走りたい!こんなところでダメになってなんかいられない!みんなに追いつきたい!そうやって気持ちを奮い立たせるも、足は鉛を引きずっているかのように動かず進まず、全身が“車に轢かれたかのような”感覚だった。股関節から腿から膝まで痛くなってきた。

遅い、走れない、情けない、悔しい、痛い。

休日の長閑な多摩川で、野球少年たちの間をシクシク泣きながら歩いた。ガードマンのおじさんに「大丈夫ー?暑いからねー、気を付けてねー」と言われるけれど顔は上げられず、帽子のツバをギュッと引っ張って顔を隠す。スタート地点に応援に来ていたグループが2組ほどわたしをさらりと追い抜いて走り去って行った。明らかにみんなから1人だけ遅れているわたしが異様すぎて声も掛けられなかったか、あるいは彩りを失った明日のジョー状態のわたしに気づかなかったのかもしれない。

応援に来ていた知り合いが、最後尾にわたしが残っていることに気付いたのか、途中で見つけてくれた。ただならぬ様子のわたしに明るくポジティブな声をかけてくれるたび、一度止まった涙がまたあふれそうだった。大丈夫、まだ行けるよ、大丈夫!みんなから離れすぎているこの状態が大丈夫なわけがないが、そうやって明るく背中を押してくれた仲間が次々に応援に来てくれたことで、溺れていたところから少しずつ気持ちが浮上してきた。(バレバレだけど)涙を見せたくないから地面だけを見て、強がってさらに歩きのペースを上げて叫んだ。

 

 「わたしはあきらめないよ!止めない!もうだめって言われても止めない!骨が折れない限り止めないんだから!」

 

応援してくれる声を背中で受け止めながら歩いた。二子玉川にはサポートや関西の仲間、トモさんが迎えに来てくれた。13時半を過ぎた頃だったか。この時はみんなからまだ30〜40分差くらいだったと思う。でも全く走れなくなっていてわたしはもう完走は無理だと思っていた。それでも関門アウトで止められるまでは続けてやるんだと。

「迷惑かけちゃうんですが、続けてもいいですか?鉄道公園までは頑張りたいんです。歩き通しでもいいから、最後まで頑張りたいんです」

「もちろん!えまちゃん、まだ可能性あるよ。復活すれば、全然あるから、ね!」

 

 可能性を捨てるなとコーチに言われながら再び二子玉川からの一人旅に出た。足裏が燃えるように熱く、パンパンに膨れ上がっていた。足を着く度に1歩1歩が飛び上がるほど痛い。こうなったら、鉄道公園まで辿り着くためになんでもいいから手を尽くすしかない。水場でシューズと靴下を脱いでアイシング。手拭いで拭いて、クリームを塗りながらマッサージをする。走り出すと冷やした反動?でカーッと燃えるように熱をもったけど、まだ歩けそうだ。

 

 5kmほど走ったところで大好きな友達、マリコさんがわたしをわざわざ探しに来てくれた。遠くからでも誰なのかわかった。声を上げて名前を呼んだ。また涙があふれた。どんだけ泣き虫なんだか。

 「大丈夫、大丈夫だよ。エマ、頑張ってるね、すごい頑張ってるよ!」

 励ましてくれる言葉が優しすぎて、不甲斐ない自分に泣きながら歩いた。ペーサーしてくれた3人はもちろんのこと、2周目にペーサー予定の友人ショウくんは初日の夜からつきっきりでサポートしてくれていた。彼のペーサーの役割はもうないかもしれない。手を貸してくれたみんなに申し訳無さすぎて、それがとにかく辛かった。わがままかもしれないけど、でもここでやめたらもっと恩を仇で返すようなもの。せめて、せめて、やむを得ない理由(関門)で止められるまでは・・・

遅すぎた対処法、遅すぎた復活劇

T.D.T100 38km地点(ダブルは約188km地点)のドロップバッグポイント日野の撤収時間は16時。本来なら撤収されるとピックアップできないけど、サポートに駆けつけてくれたジミーさんがわたしの荷物を受け取って待ってくれていた。到着したのは2時間も遅れた18時過ぎ。鉄道公園で仮眠して準備しているはずのショウくんも待っていた。「もうこりゃアイツ関門間に合わないなと思ったら途中に来てもらったほうがいいかも」と伝えてあったのだ。

 

 淡々とエイドワークを手伝ってくれる。何か食べる?これはいる?決して「やめる?」なんて聞かないでいてくれる。ここで、シューズを替えてトレッキングポールを持つことにした。ロード用のクッション性のあるシューズで、足裏が腫れ上がっているわたしのダメ元の選択だった。

実は1周目で服の擦れのトラブルもあった。上から下までレースでほぼ毎回着ているウエアだったが、雨や汗で濡れた後にTシャツの袖を肩までめくっていたせいで腕の内側が大きく擦れた。なぜか背中側のブラトップ、胸の内側、そして過去一度も擦れたことなんてないパンツラインにもとんでもない大きさのミミズ腫れが出来て皮膚がめくれてしまった。腕や背中は膿でも血だらけでも我慢できても股擦れはかなり痛く、途中ダメ元でタイツとランパンを履き替えた。かなりの賭けだったが、履き替えて以降股擦れは一切気にならなくなったのだ。

辛いなかでそれを突然思い出し、この足裏の痛みに変化を与えるべくシューズと靴下を履き替えることにした。さぁ、吉と出るか凶と出るか。ほんの数分、体を真横にしてマッサージガンで腿をほぐした。

日野から鉄道公園までは25km。緩やかな登りもある。唯一の関門は鉄道公園に21時。あと2時間半弱しかない。サロ門からここまでほぼ歩き通して38kmに7時間(!)もかかった。さすがにもうどう足掻いても間に合わない。ならばどうすべきか。T.D.T100の人たちが鉄道公園からトレイルに入り、再び鉄道公園に戻ってきた後のエイド撤収時間が深夜2時。誰一人いない鉄道公園に着くことだけはいやだ、と最低目標を深夜2時にした。あと6時間あれば、もし1ミリも歩けなくても、途中で動けなくなってストレッチをせざるを得なくても、なんとか頑張れば間に合う。トボトボ彷徨うように歩くよりずっといい。諦めなければ、行ける。

「少しでも早く着くように頑張る。ごめんね」

 

 立ち上がると、シューズのクッションがまるで雲の上を歩くかのようにふわっふわに感じた。山で使い慣れたポールも、相棒を得たような感覚だった。いままでいろんなレースを共にしてきた。たくさんの辛い場面を一緒に乗り越えてきたポールだ。まだいけるかもしれない。

そうしたらいきなり脚が動くようになって、走り出せた。走れる!走れる!走れる!ポールをメトロノームのようにカチカチ鳴らしながら突いてリズムを作り走る。時計を見るとキロ6分45秒だった。

「えっ?復活?」

すぐに7分、8分と落ちてきたものの、8分台は維持できる。たまに10歩20歩歩くもまた走り出せた。遅すぎる復活だった。身体が拒否して完全に止まってから騙し騙し歩いて38km、まさか180km越えての復活。嬉しいけど、手遅れには違いない。2周目スタートからシューズを履きかえてポールを持っていれば・・・。だけど、そんなこと言っても過ぎたものは仕方ない。わたしに力を貸してくれた仲間や励ましてくれた友達のことを想って、今できる全力で、少しでも早く鉄道公園に到着したいと力を振り絞った。

 

 歩くと長すぎる河川敷もほんの少し走れるだけでどんどん景色が変わっていく。集中力を取り戻し、街灯もない真っ暗な多摩川を黙々と走った。200kmの瞬間だけ足を止めて写真を撮った。

「速いじゃん!」

残り8kmの市街地で、ショウくんとジミーさんが応援に来てくれていた。あんまり走れなくなっていたけど、最後の勇気をもらった。いつもはあっという間の8kmがとんでもなく長く感じたけれど、最低目標2時は取り消して、最低目標を今日中(2日目)にした。後から写真を見ると、そこに写っていたのは、“いつものわたし” だった。

 

 自分を取り戻したわたしは、1分1秒でも早く辿り着こうと足掻いた。あと5km、あと4km、あと3km。鉄道公園までの傾斜の強い坂も気持ちだけでも走った。23時過ぎ、関門時間から2時間オーバー、約213kmでわたしの挑戦は終わった。たくさん人がいて賑やかだろうと思って飛び込んだ鉄道公園は真っ暗で静かだった。

  

 ちょっとだけ涙が滲んだけど、もうすっかり枯れきっていた。ショウくんとジミーさん、周りにいた人達に囲まれて、ペラペラ喋った。復活したことや、ここまでこれたこと、200kmを超えたことはかろうじてやりきった感があった。待っていてくれる人のところまで、頑張ってよかった。鉄道公園までやめない、はせめてものケジメだった。

落ち込んで凹んで暗くなってみんなを困らせるんじゃないか、まだ走っている人を見たり応援したりする自信ないなと思っていたけど、案外明るく可笑しく振る舞えた。

 

カラ元気だけどもう感情がワケわからなさすぎて、でもみんながいてくれて救われた。その後は走り続けている人達を応援しながら3回目のサロ門へ、“車で”戻る。

T.D.T200のわたし以外の3人が手を繋いでフィニッシュして、みんなに囲まれ、完走賞の世界でたった4つのうちの3つの木彫りのダルマを受け取り賞賛される様子を輪の外で見た。わたしが手にするはずだったダルマもわたしと同じく誰からも見えない隅っこにぽつんと置かれていた。

 

そこにわたしの存在も居場所も無かった。日が照りつけるなか、光と影のギャップはさすがに厳しく、その場から消えて無くなりたかった。

わたしがダルマの代わりに得たもの

完走できなかった理由は、『練習不足』に他ならない。もう少し具体的にいうと『走り込み不足』だと思う。1回の練習で長い距離を走るとか、月間走行距離を積むというよりも、これまで積み上げてきた距離といったほうがいいかもしれない。

わたし以外の3人は、200km以上の経験がある。前田さんはTJARのほか400km級のレースに出る猛者。阿部さんはバックヤードウルトラで37周(248km)、シンさんは同じくバックヤードで38周(254km)を走った経験がある。3人ともロードや林道を一定ペースで走り続けることができる。50kmを目指す時、30kmくらい走った経験があればなんとなくイメージがつく。100kmなら80kmくらい、100マイルなら100〜120kmくらい走った経験を積めば、未知の距離とはいえどのくらいの疲労感であとどのくらい頑張ればいいのか身体も覚えていくんじゃないだろうか。“超ウルトラ”の人達の異様なほどの距離も、どんどん距離が麻痺して=身体が距離に慣れて、さらに長い距離を踏んでいけるようになるんじゃないだろうか。それがたった一度だとしても身体の記憶は大事な気がする。

 今回、一時的に熱中症になったものの回復したし、補給は最後まで食べ続けられたし、眠気も平気だった。このあたりの必須項目はクリア。だとすると、わたしがT.D.T200を完走するために必要なことはめちゃくちゃシンプルだ。ロードの200kmあるいは250km以上を身体や脳に記憶させる。それに耐えうるだけの練習を積むしかない。

 

「その悔しさと燃える気持ちをまた来年ぶつけて!」と何人もに言われたけれど、わたしからメラメラが見えた・・・としたらそれは暑かったあの日の蜃気楼が何かで、メラメラなんてないくらいシュンとしてしまった。わかってはいたけど練習不足は明らかだし、情けないし、ダメすぎて火種も見当たらない。ただただしょんぼり。

練習ができないなかで、少しくらいは経験値でカバーできることがあるかと思ったけど、オマエはまだ未熟だぞ、努力が足りないぞ、とウルトラの神に言われた感じがした。トレイルとロードは違う、距離感も160kmと300kmは別のスポーツかのように感じた(シンさんがキツさはT.D.T100のぴったり2倍、と言っていたけど完走していないわたしにはわからない)。ただ、ホームコース多摩川を3回も走ったのに多摩川を嫌いにならなかったのはホッとした。ペーサーやサポートをしてくれた友人に完走でお返しができなかったのが悔しくて情けないけれど、優しいみんなのおかけで苦しくも楽しい36時間だった。

 

ほかの3人との経験も実力も差は歴然で、わたしなんかが名乗り出たのはばかばかしいかもしれない。そんでもって1周目からうまくいかず簡単に玉砕するなんて笑っちゃうほどばかばかしいかもしれない。でも、どれだけ落ち込んでも、どれだけ悔やんでも、どれだけ傷口に塩を塗るようなことを言う人がいても、わたしは胸を張って「“やってみた”ことに後悔はしてない」と言いたい。挑戦なくして成功なし、失敗は学びであり成功への一歩。すごい人達はみんな失敗をたくさん知ってる。だから、ばかばかしくってもばかできる大人でいたい。

バンクエットで、トモさんがこう囁いてくれた。

 「一度で成功する必要なんてないんだよ」

生きている限り、挑戦できる。そう思いませんか。

Twenty years from now you will be more disappointed by the things you didn’t do than by the ones you did do. So throw off the bowlines, sail away from the safe harbor. Catch the trade winds in your sails. Explore. Dream. Discover.

―― Mark Twain

今から20年後、あなたはやったことよりも
やらなかったことに失望する
ゆえに、もやい網を解き放ち
安全な港から船を出し
貿易風を帆にとらえよ
探検せよ、夢を見よ、発見せよ